内産原石による製品の豊富な品揃え

現在では採掘が禁止され、ほとんど市場に流通されず、入手困難になっている

大変希少価値の高くなった国内産原石の製品を豊富に取り扱っております。

創業当時、まだ閉山していなかった山梨の鉱山関係者の方より譲って頂いた水晶原石を

自社または県内で商品加工しております。

 

水谷水晶研磨工業は、国内産原石のほかブラジル産天然水晶原石も多数所有しており、

天然水晶のいろいろな製品に幅広く対応いたしております。

富士山溶岩

晶の街・山梨「水晶の歴史」

新潟県糸魚川産「翡翠」

 

 

富士山は、2013年『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』として世界文化遺産に登録されました

 

富士山は山梨・静岡両県にまたがる日本最高峰の独立峰で

標高3776メートルの玄武岩質成層火山です。

古来より、孤高の美しさ・圧倒的な存在感だけでなく

荒ぶる噴火により“神の住む山”として畏れ崇められ

浅間神社をはじめ修験道・富士講と多様な富士信仰が育まれ

『霊峰富士』は聖域とされてきました。

また、万葉の古来より多くの文化芸術作品の題材にもなっています。

 

富士山は現在も活動中の活火山です。

溶岩には、天然のミネラル成分を多く含んでいます。

とくに富士山の溶岩には、ミネラルの含有量が非常に多く、

確認されているだけでも30種類以上バランスよく含まれ

美肌効果やマイナスイオン効果、日本で唯一バナジウムが

高濃度含まれていると注目されています。

このほか、熱を受けることにより遠赤外線を放射、その放射率は90%以上と

さまざまな物質の中でも極めて優れていると立証されています。
現在、富士山周辺は国立公園に指定、溶岩の採取は禁止されています。

 

当社の製品は、鳴沢の正式指定採石業者様が採石したものを仕入れ

すべて自社にて研磨加工し仕立てしております。

溶岩丸玉加工品

山梨県は鉱脈に恵まれ、かつて金峰山一帯は日本最大の水晶山地であった歴史があります。

 

山梨県の水晶の歴史は古く、始まりは縄文時代までさかのぼります。

 県内の住居遺跡から水晶の矢じりが見つかり、古墳時代の遺跡では

  勾玉や管玉などの副葬品が数多く発掘されました。

 甲州市の玉諸神社の御神体は、高さ7尺大きさ6尺8寸もある巨大な天然水晶石であった

 ことが社記に掲載、また金峰山を御神体とし、武田家代々の祈願所であった金桜神社には

この地で採掘され京都の玉造(職人)が磨き出した社宝「火の玉」「水の玉」が現在も祀られています。

武田信玄公も水晶を中心に嵌め込んだ軍配を合戦で用い、

水晶の大念珠を身につけて愛用していたことなど水晶にまつわる逸話が数多く残っています。

しかし、江戸時代以前より水晶鉱石の採掘は、領主や幕府による厳しい統制で

自由に採掘することは許されておらず、規制により官有物であった水晶は

世に出回る量も少なく尊い石として取り扱われ尊ばれました。

 

山梨での本格的な水晶加工が始まったのは江戸時代になってからのこと。

京都の玉造(職人)玉屋弥助が水晶の買い付けに度々訪れる際に、

御岳の神官に研磨技法を伝えたのが始まりとされています。

以降、御岳には職人の数も増え、甲府にも加工所が開設され“甲州研磨”として定着

山梨の地場産業に大きな基盤を築いていくことになりました。

 

山梨には水晶峠・竹森・倉沢山・向山・乙女鉱山・八幡山・黒平など数々の鉱山がありました。

明治時代はじめ、政府の政策により民間に鉱山開発を許可した結果、試掘と採掘が激増...

業者間競争の乱掘が続き、たちまち採掘量が減少してしまいました。

また、鉱山を水源とする川の氾濫が多発し、下流の市街地が被害を受け問題となると

県採掘業者に砂防措置や原型に服する措置をすることなど、規制を強いる次第になりました。

大正時代に入ると、安価で質も良いブラジル産の水晶輸入が開始されはじめ

多大な資金を要する山梨の鉱山は閉山が相次ぐようになったのです。

 

ついに山梨県内の水晶鉱山は全て閉山し、経年劣化や心ない盗掘のため荒れ果ててしまい

現在では許可なく鉱山跡地に立ち入ることも禁止されているのです。

 

山梨産水晶は、市場にほとんど流通していないため大変稀少性が高くなり、高品質な原石は

特に入手困難です。水谷水晶研磨工業では、創業者が当時「八幡山産」「黒平産」水晶など

鉱山関係の方より譲っていただいたものを所有し

自社または県内の熟練職人が加工・研磨して製品にしております。

黒平産 日本式双晶

国立科学博物館蔵

八幡山

 

 

2016年 国石が翡翠に指定されました

 

 

 

 

 

 

 

 

糸魚川翡翠は新潟県糸魚川市の支流、小滝地区と

青梅川支流橋立地区が原産です。
硬度6.7〜7の硬玉(ジェダイド)オンファス輝石という

微細な鉱物が集まってできた非常に硬い石です。

 

縄文時代前期頃に出現、弥生・古墳時代を通じ富と権力の象徴とともに、

聖なるものとして装身具・玉類の主流を占めていました。

しかし、奈良時代になると全く利用されなくなり

昭和13年に再発見されるまで歴史から忘れ去られていました。

その後、戦後に調査が行われ広く知られるようになると

盗掘事件などが起こります。

 

現在、糸魚川翡翠は天然記念物に指定、翡翠に限らず

その産地一帯での全ての岩石の採掘や持ち出しが

禁止され、保護されています。

資源が限定され、旧来からの原石を活用し市場に出回っている量が

大変少ないために、とりわけ貴重とされています。

また、歴史的な意味でも『幻の翡翠』と呼ばれています。

皇室の3種の神器のひとつ、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)や

出雲大社の御神宝の勾玉も、糸魚川翡翠の勾玉ではないかと

伝えられています。

当社の製品は、原石を地元糸魚川の業者様より仕入れ

自社や山梨の職人がカット、加工・研磨しております。

糸魚川翡翠原石